計算抜きの愛を体験して


関根英樹
(横浜クリスチャンセンター教会員)

僕が20歳の時、女友達が洗礼を受け、それ以来彼女から神とか信仰に関する話を頻繁に聞かされることになりました。僕は自分が罪人だとわかっていただけに、クリスチャンになると、いろいろな楽しみを捨てて、禁欲的に過ごさなければならないように思えて、拒絶反応が出てきて会うたびに口論するようになってしまいました。
 それでも、イエス様を捨てることができないと言う彼女に「おなえがキリストに仕えるなら、俺は悪魔に仕える」と恐ろしい言葉を浴びせかけ、別れる決心をしたのです。以後、酒を飲んでは暴れ、麻薬に手を出し、他の女性とつき合い出しました。
  ある日、仲間とマリファナ(麻薬の一種)を吸っていると、彼女が聖書の言葉を書いた紙を持って入って来たので、目の前で破って唾を吐きかけ、彼女を追い出しました。まるで神自身が現れたかのように、彼女が邪魔でならなかったのです。

 やがて彼女は傷つき疲れ果て、自殺を図ろうとしました。その時、イエス様が心に「産みの苦しみを伴わない誕生はない。その苦しみは失望でなく希望をもたらすものです」と語られた言葉によって自殺を思い止まったそうです。以来、希望を持って僕のために祈り初め、僕のどんなひどい言葉にも傷つかなくなりました。苦しみの中でさえ笑顔がとても輝いていて、今まで感じたことのない愛が伝わってくるのです。これはふつうの愛とは違う、この愛や力がどこから来るか知りたいと思いました。その一方で、彼女の背後には本当の神がいる。自分にはこんなに罪を犯しているから、神に赦されるはずがない、との恐れも感じ始めたのです。
  ある時誘われるままに伝道集会に出席し、神を信じられるものなら信じたいと思い、祈りとは言えないような言葉でともかく祈ったのでした。(イエス・キリスト。おまえが本当にいるなら、俺を変えてみろ)
  牧師先生が祈ってくださった時、体中の疲れが取り去られ、なぜかうれしくて思わず賛美歌が口から出て来て、心の中に平安が入って来たのがわかりました。しかし、数日後には昔の悪友とのつきあいに引き戻されてしまいます。彼女はそんな僕を再び集会に連れて行き、しかし、数日後は再び悪友とつきあいに戻り、といったことを何度も繰り返していたのでした。

 

「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(コリント人への手紙第2・5章17節) 聖書の中からこう語りかけてくる言葉に胸が突かれる思いで、過去のすべてを振り切って心を整理しようと思い、聖書と彼女の祈りとに支えられて、アメリカへと一人旅に出発しました。
  グランド・キャニオンに立ち寄った時は、あたり一帯が雲で覆われて何も見えませんでした。その時、読んでいた聖書の次の言葉がふと思い浮かびました。 「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです」(マタイの福音書17章20節)
 そんなちっぽけな信仰でいいのなら、クリスチャンでもない俺もちょっと祈ってみようとばかり、半信半疑ながらも「イエス様、どうぞ、この雲をどけて下さい」と祈ってみたのです。
  すると間もなく、分厚い雲にポッカリと隙間が出来、そこから強い陽光が幾すじも射し込んできて、雲が動き出して見る見る真っ青に変わってしまいました。
 イエス様は生きておられ、自分のような罪人の祈りを聞いてくださった!今まで、神は罪人を厳しく裁くとばかり思っていたのに、そのまま受け入れてくださった。計算抜きの無条件の愛を示し、僕と一緒に歩んでくださろうと初めてわかりました。 イエス様が僕を愛してくださったから、僕はこのお方に従っていきたいと決心し洗礼を受け、彼女と結婚し、中学校の教師という仕事も与えられました。
  生徒に接する時、「神様、あなたのように見、あなたのように考え、行動できるように助けてください」と祈りつつ日々励んでいます。